まぁ基本的に良くあるテーマですね、ビジネス・スキル・ワークショップとかで。意見を持たなければ始まらない、発言しなければ進まない、みたいなルールがあって、会議とかでもしっかりと発言をしないといけませんよ、的な発想。
もうかれこれ十何年外資系の会社で社会人をやっているのですが、これ、苦手です。。。あ、あれですよ、「発言する」って部分です。職種柄、意見を持つ事が毎月のお給料を保障してくれるようなものなので、それはしっかりやっているのですが、いつも頭によぎる言葉は、『話し上手は、聞き上手』。座右の銘的言葉です。
「沈黙は金」とか、「不言実行」とかいう言葉が慣用句としてある文化で育っているからか、僕のスタンスは、「まず人がなにを考えているか見極める」という事を大切にしてます。会議なんかにおいては、別に話しの内容が濃いとか、話し方が流暢だとかが必ずしも大事な訳ではなく、視線の動き方とか、手の使いか た、はたまたべつな人の発言をその人がどのような態度で聞いているかなど、言葉以外に人々が発している信号を見る事にエネルギーをかけてしまう傾向にあり、ついつい聞く事に熱心になってしまいます。
外資系の会社にいると良くあるのですが、長い会議ほど「発言のための発言をする人」がたくさん居ます。まぁ当然の事ながらこういう人はそういう文化の中でのし上がってきていますので、一筋縄ではいきません。場を支配する術に長けているというか、常に発言をすることで自分のプレゼンスを主張します。でもよく聞いていると、同じ事を言い換えていたりすることもしばしば。それは技術として非常に感心をするのですが、一方で、「上手いよなぁ」とやや皮肉を交えながら達観したりする自分にも気が付きます。そうやって、頭の中で色々考えをめぐらせていると、
『で、君はどう思うのかね』
と、英会話のコマーシャルのような一言を不意に投げかけられたりします。コマーシャルの中ならば、言葉に詰まって、「あ、あ、あ、。。。。」みたいな展開ですが、まぁこちらも色々考えてはいるので、
『彼はこういう主旨の話をしていましたが、一方でこの部分に関しては、僕はちょっと違う感じ方をしています。それは、』
と話し出してみるのですが、すかさずしゃべり上手な人がかぶせてきて、「でも、僕が元々言っていた意味って言うのは。。。。。」なんてすぐに発言権が移動するわけです。発言のための発言がそうやって続いてゆく。そうなってくると、もう、すっかり戦意喪失(気味)ですね、僕は。そういうのが繰り返されると、すっかり黙ってしまう。でもきっと、言葉にしなければ、「意見を持っていること」は他人にはわからない。そうなると、やっぱり自分にとっては不利ですからねぇ。。。
最近ちょっと悩むことが多いです、この手のことで。
5 件のコメント:
個人的な「品格」への意識の問題もあるかもね。
アメリカ在住のオレも実に、この手は苦手、同感だ。
例えば、会社でビュッフェに行ったとして、
「さぁみなさん 今日は食べ放題ですよ!」
といわれた瞬間に、テーブルに飛びついちゃう人
見ると「下品」な感じがする。まさに同じだと思う。
誰かが「意見交換」とは「発言すること」だと決めたため、アホはその「行為」におぼれる。 賢い人は発言する「手法」を熟考する。そんな差ではないかと思います。
でも、あれっ、ゴリゴリ発言できない人を周りの
アホFollowersは
「あいつ、発言もできねぇのかよぉ」というさげすむ視線でみてくるよね。。。
これは、単純にムカつくよね(笑)
Vaffanculoと言ってやりましょう(笑)
あっ、これ、私もアメリカのビジネス社会では苦手です。
いつも「意見持ってるんだからもっと発言して」という様な事を上から言われますが、特に政治家との会議だと、相手の口の巧さやペースにすっかり巻かれてしまって相手に歯止めを掛けるタイミングが計れません。 こっちの政治家は特に巧いんですよ、これが。 流石、高校時代からDebateのクラスとか取ってるだけあります。 日本の会社相手の会議だと、聞き手に回る方々が多いので楽に発言できますが。
これ、社風もあるみたい。 「発言のための発言」で非常に長い無駄な会議ばっかりやってる会社もあれば、ここの近くのM社では、無駄な発言や無駄な会議の時間は超タブーで、首が飛びます。
確かに下品にビュッフェに飛びつかないように、かつ、食べ逃さないような、Assertivenessを身に着けるのって結構大変だよね。
>Takomushiさん
「品格」に関しては、文化の違いがもろ出るかな、と。ガッついてしまうのを良しとするならばそれもアリでしょう。ただ、われわれはそれを良しとしない文化の出なので、やっぱり無理ですね。でもそこには小さな葛藤があって、山盛りにした皿から食べているのを見られるは恥ずかしいけど、でもしっかり食べたい、みたいな(笑。ビュッフェスタイルとか、苦手です。食べるという行為は、モロに品があらわれるというか、素が出る行為なので、慎重をきわめたいですねぇ。
でも、むかついても、『大人なんだから』というもう一人の自分が頭の中でつぶやくので、ついついやり過ごしてしまい、すっかりジャパンを感じるわけです(汗。
>Romikoさん
あ、やっぱり言われますか、上から、「発言しなさい」って。僕も全く同じです。プラスして、それなりに歳をとったので、余計にそういう期待を周りは持つようです。でも、僕からすると、歳が上な人ほど、腕組みして聞いている、みたいなイメージがあるし、いらない言葉で話を飾るのは無様に感じます。ごくわずかですが、外国人の人でも、たまに達観するけど、要所だけは抑えるのがうまい人に会います。そういう人を見ると、素直にあこがれますね。しかし政治家相手では、これまた大変そうですね。
意見を持つことは、発言すること・・・
個人的には「YES」側かもしれないな。
自身も最後で言っているように、意見を持っていても発言しなければ伝わらない、イコール、持っていないと見なされても仕方がないという見解。
ただ、それを押しつけ気味に発言するのかどうかは別問題で、論点はそこなのではないかと。
小生も相手の考えを見極めるというタイプだけど、それは黙して見極めるのではなく、引き出すためにあえてエサをまくために突っかけることもしばしばあったりする(笑)
ま、いい性格ではないな、間違いなく。
そういう意味では「発言のための発言」と言えなくもない。
交渉術にも通ずると思うが、自分が最終的に言いたいことをより強調させるためのプロセスであったり、相手に自ら外堀を埋めさせるために深慮させる間もなく“発言させて”逃げ道を塞いでみたりする。
それは「発言を誘導するための発言」かもしれないな、と。
ま、日ごろからそんなことをやってると疲れるだけなので、普段は逆に何も考えず過ごしているのが小生の姿かもしれないけど(爆)
>takaさん
論点のご指摘、ごもっとも。しかしながら、「発言しなければ、意見が無いとみなす」というのは欧米系のカルチャーでは特に強いので、そのカルチャーに身を置いているのであれば、そのルールに従うのは、義務ではないかもしれませんが、文句を言う権利はないでしょう。結局押し付けられても、それはルールで有るが故の正当性がある。そういった事からジレンマを感じる訳です。まぁそのルールに従って、ウマいゲーム運びが出来るといいのですが、言語の壁が邪魔をすることもしばしばです。。。むずかしいですな。
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