先日、藤原ノリカのユニクロの広告の話をしましたが、前回問題にしたのは、『ウェストラインがキレイにみえれば、脚のラインはキレイにみえる』という主たるメッセージが、結局タレント頼みになっている点だった。言い換えると藤原ノリカばりのウエストラインがなければ、履く人(=ユーザ)の脚のラインはキレイに見えない、というユーザにとっての「嬉しさ」が全くなくなってしまうわけだ。よっぽど、『女性として特徴的な腰周りのラインを魅せることで、女らしさを感じることができるジーンズ』みたいなメッセージを機軸にしたほうがいいね。その理由は:
1)ハイライズジーンズという「モノ」を使う人にとって、それを使うことの意味=「コト」が解る
2)藤原ノリカでなくても、成立する
からです。で、似たような設定で、よりよいコマーシャルは何かな、と思って見つけたのがこれです:
「この私が私です」っていうメッセージなんだけど、実はこれってちゃんとワイドレッグジーンズの機能(=動き易い)っていうのと結びついている。「ワイドレッグなら動き易いから、どんなシーンでも、素直に行動することができる。だからワイドレッグジーンズを履けば、私は私らしくあることができる」というように、「モノ」と「コト」が繫がったユーザにとって意味あるメッセージに転換できている。確かにサトエリのシルエットが大きな要素を占めていますが、これがサトエリでないとしてもきちんとメッセージが伝わる気がします、少なくともノリカの例と比べてみると。
ちなみにこのワイドレッグのときにはweb限定の4分CMがあったようで、それを通してみると「モノ」のよさがよりわかりやすい。
まぁ当然ストーリーフィルムとしてもいいのでしょうけど、やっぱり広告は商品を動かさなければいけないので、そういう力は藤原ノリカver.よりも、サトエリver.のほうがあるように思える。
5 件のコメント:
広告にはくわしくないのですが、
アパレルの宣伝では、日常ではあり得ないコーデや(その服を着て外を歩けるか? と思うようなのとか、動きにくいだろ というものがおおい。ファッション雑誌もそうですね)シーンが多いので、リアリティが無いことが多いですね。非日常的というか。
まぁ、それが憧れをかき立てる事訳ですが。
けど、
サトエリのは、設定などが、ユーザーにとって日常的です。日常的=自分が着ている事をイメージできますね(親近感がわく?)。
(スタイルは、ありふれたものではないのですが)
タレントのキャラクターがうまく和らいでます。
紀香のほうが、インパクトはありますが、リアリティは無いっすね。
ユニクロというブランドイメージは、憧れをかき立てるものか? リアリティ(と親近感)なのか? なのかしらん。
なんて、考えました。
たしかに、動き易いという事を伝えるのならサトエリでなくても良いのかもしれません。
でも動き易くかつ美しくカッコ良く見えるのは、あくまでもスタイル抜群のサトエリだからこそであって、そういう意味ではこれもサトエリありきでは?
消費者に対しソフトに見えるのは、キャラクターの問題で、サトエリの方がノリカよりも庶民的に見え、勘違いさせられ易いからではないでしょうか?
とあくまでも自分の趣味から思ったりします。
>りんこ
ちっすちっす。そのとおりで、ファッションの世界は基本的に非現実がきほんだよね、ファッションショーとかもさ、自分とは違うモデルが着てるしね。そういった意味ではタレントのセレクションはまだサトエリの方がしっくりくる、という相対的感想。
ユニクロは、基本ブランドであってブランドでないというか、価格とか、店舗の立地条件など日常に近い製品だけど、ファッションセンスを感じさせようとする努力もしていて、そのバランスの中での葛藤があって面白いんだよね。そういった意味で指摘のとおり、「あこがれ」と「リアリティ」が拮抗してる絵柄になっているのかも。
>深川R
う、紀香ファンか?!(笑。まぁ冗談は置いといて、サトエリの方が受け入れやすいと感じるのは確かにキャラの問題もあるかも、ちょっと不思議な感じが漂って、アンニュイな感じが判断を鈍らせているかもね。でもポイントは、紀香のCMは紀香が居ないと成り立たないけど、サトエリの広告はサトエリが居なくても成り立つ、というメッセージングとの兼ね合いなんだよね。タレントが広告の中心になっている、のと、タレントが目立って見える、のとは違うかなと。
まぁ実は単に僕がサトエリの方が魅力を感じる、というだけなのかもしれません(笑。
いやいやいやいや、ノリカには興味が全然ありません。
もっと言うとユニクロのジーンズにも興味がありません。
サトエリの体のラインがとても好きなだけです。
(*^。^*)
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素直でよろしい!(笑。
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