秋葉原の無差別殺傷事件が起きて1週間とちょっとが経つ。事件そのもの残忍さなどはすでに報道で知るところで、ここで議論をするつもりはない。非常に残念なことであり、ご遺族やご友人たちの心痛ははかり知れないからだ。
先週一週間の報道には何か違和感を感じるものがあった。容疑者のプロファイルについて追っかけるのがマスコミの性であるのだが、そのやり方にだ。容疑者のキーワードは:
ネット掲示板ファン
おとなしいがキレると手がつけられない
派遣社員で解雇通告を受けていた
と主なものがあげられる。それが伝えられるたびに、容疑者の属性を「グループ化」し、「異質なもの」として「脇に追いやり」、それを論評する「マス=多数派」の論調が際立ち不快に思う。そのような中、Japan Mail Mediaというメルマガで、作家である冷泉彰彦氏の執筆の中にあった文章が目に留まった(以下抜粋):
───それにしても、犯人を紹介する際に「25歳の派遣社員」という言い方は何とかならないのだろうか? この男は塗装工であって、派遣うんぬんというのは、契約上の雇用主が契約上の発注者との間で派遣契約を行っているだけのことであって、本人は立派な給与所得者であり、同時にやっていることは塗装工というプロフェッショナルの仕事のはずだ。それでも、社会的に「派遣社員25歳」という紹介がされるのは、月曜日版で水牛健太郎氏が指摘していたように、「身分制」があることの証拠だろう。それにしても、全国に何百万といる「派遣社員」はこうした呼称に対して真剣に怒っても良いのではないか?
(『from 911/USAレポート』第360回、「アメリカから見たアキハバラ」、JMM第483号、土曜日版より)
先にキーワードを3つ挙げたが、冷泉氏の指摘と同様に、「掲示板利用者」や「ストレスを抱える人」というラベル化をされ、論評されるところに違和感がある。マスからは一線を画す「特異な他者」として扱うことで、「マスの安全・安泰を議論しようとしている」姿勢を感じずにはいられない。それは自分たちの中にある問題を、画一化して、異質化させているということであり、本当の自浄努力を阻害している。
今回の問題が社会の問題として本当に「マスの中の問題」として議論させるならば、自分たちの問題の対策として「歩行者天国の中止」や「ダガーナイフの禁止」などが民衆の中から起こって良い気がする。そういう手数を踏まずに、1週間後には民意不在の中で歩行者天国は無くなっていたのを見て、半ば全体主義的な気質に危惧を覚えている。
5 件のコメント:
全体主義というほど統制も取れていない。個がないだけのような気もします。
個がないので必然的にマスゴミに操作されているような感じが漂い、我々もそのマスゴミの情報しか判断基準にしていなかったりする。もっと困るのが、それを打開しようにも日本人全体の顔がすでにもうのっぺらぼうになってしまっているので何も建設的な策は取れない。そして閉塞感だけが増殖し脳も溶け出す。
どうなることやら・・・
Ponpokoでした。
そもそも、派遣だろうが正社員だろうが、億万長者だろうが貧乏人だろうが、やってはいけない(倫理ではなく本能的に)ことをした者は、それ以外の分類に属することはないと小生は思う。
今回の容疑者が社会に対する不満をあたかも事件の一因のように供述していることは、ある種「自分は身分が保証されておらず将来に不安があるから仕方ない」という自己弁護の屁理屈をマス側が与えているのではないかとすら思えてならない。
無論、そんなことは有り得ないわけで、派遣社員だから無差別殺人を犯してもいいことにはならないが、マス報道はそういったニュアンスを与えてしまっているように感じるし、まして当事者(容疑者と同じ境遇の人たち)にとってはもっと直接的に受け取ってしまうのではなかろうか。
また、容疑者本人に限っていえば、すでに成人しているとはいえあの人格を形成した親にも責任がある。極端な結論を出してしまう思考の人間を作り出したのは間違いなく親であり、社会でもなければ周囲の人間でもない。
マスに話を戻せば、個人的にもっとも違和感があるのは、きのうまで大々的に報じていた事件を、丸で何もなかったかのように報道しなくなること。
さすがに先の東北地震でも秋葉原の一件は引き続き報道されているが、その前の「隣人バラバラ殺人」どうなったのだろうか?
枠というのは当然ある。でもその中で、プライオリティを限りなくゼロに近くしてもいいほど軽微な事件でもなかったはず。
死刑制度の是非を含め、ジャーナリストとして重大事件の抑制を声高に謳うのならば、バラバラ事件の経緯や宮崎勤の死刑執行など、事の顛末をもっと世に訴えるべきではなかろうか。
と、ちょっとマジメに書いてみたりする今日この頃。
>ponpoko先生
僕が感じている危機感は、「マスゴミに操作されているような感じ」が漂っていることです。そこには画一化された基準が植え付けられる危険性があるのと同時に、当事者意識が欠落するので、思わぬ方向で世論が暴走する危険が。。。まぁその世論も市民不在のゴミ宣伝なのですが。。。あまり楽観視できない自分が悲しくもあり。
>taka
『ある種「自分は身分が保証されておらず将来に不安があるから仕方ない」という自己弁護の屁理屈をマス側が与えている』というのは同感。本質とは別の次元にある事を枠組みとして採用して、軽視している、これは明らかな論点外し。だからこそ、派遣な人々は蜂起するべきであると。まぁ雑誌は追っかけるものもあるだろうけど、結局は奇異なものに対する興味本位でしかないだろうから。。。しかしながら母親が既にたたかれはじめている。それはそれでちょっと的外れなような気もしないでもない。。。
なにかこう、気分の悪さが残る事件だ。
時間がないので流し読みしたけど、この事件の夜にでも、首相か都知事なりが、何か国民にアドレスするべきではないかと思ったよ。みんなが不安なときのリーダーのひとことって大事でしょ。そういうのがないから、日本は国民がマスコミに踊らされてしまう。マスコミ主導だから情報量が多くなるほど、事件の風化も早いね。秋葉原の事件は、サリン事件を思い出すインパクトだけど、もう既に忘れられはじめていそうだな。
>yamato
なるほどなー、たしかにそれなりの立場の人間がプレスに対してモノを語る、というのはアメリカではあるからね。総理がそういうことをするのはあまり無いのかもしれないけど、中央区町でも、東京都知事でも、意見を述べて、主要なニュース番組で放送されるべきだね。インパクトは確かにサリン事件なみにあったしね。
情緒的なストーリー(被害者の生い立ち)などがフォーカスされ続けたから、人々も飽きたのか、たしかに風化されつつあるね、この事件。。。
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